小豆島THT(旧小豆島THT鉄道部)

Last-modified: Fri, 17 Nov 2023 17:39:50 JST (162d)
Top > 小豆島THT(旧小豆島THT鉄道部)

小豆島THT(あずきとうてぃーえいちてぃー)は小豆島最大手の鉄道会社である。

 

CE2010年から小豆島の鉄道路線すべての運営をしている。

以前までの体制から

リバーサイト鉄道、サクラメント鉄道、旧THT、小泉電鉄の四社体制。

合理化を推し進めるまでの数年間は業界内紛争が続いていた。

今年新社長が就任。過去に使っていた車両の刷新をする。一部は夢峠鉄道車両が 作っている。(同ページで「すべての列車を夢峠鉄道車両製のものにする契約」は特急列車のみを表す。)

大豆島に支社があった。

大豆島の歴史が始まって数年のころに南方市あたりで海岸線沿いに路線を展開したが、近年大豆島では鉄道業界の再編が行われ、当社が持っていた路線が新大豆 高速鉄道に編入された後に売却に応じる。その後撤収。

路線運用

コーズミー本線とサクラメント線を合わせたものを小豆島循環線として運用している。他にコーズミー港線、パトロン大陸海峡線、コイズミ国際空港線がある。

前述の小豆島循環線はコーズミー本線とサクラメント線がヤガシセントラルで運用系統が別れているため大抵の場合乗り換えを要している。過去には循環特急という物があったがコーズミー本線を都市連絡線として強化しておりサクラメント線との直通はしていない。まれに観光用臨時列車として島内循環はあるもののその際は頭端式駅であるヤガシセントラルで方向転換となる。

コーズミー港線はリバーサイド鉄道が建設した路線で荷揚げ港の荷物を運んでいた。コンテナ港がコイズミ国際空港付近になったことでその役目を終えているがベッドタウンとしてよい立地なので通勤路線となった。

パトロン大陸海峡線は海峡と数か国の国境を超える国際列車でパトロン大陸を縦断し、ラーシア中央まで到達する最長の運用距離を誇る。

コイズミ国際空港線はCE2020年にコイズミ市街の渋滞解消のため開業させた空港直行線。コイズミイーストと空港駅の間の途中駅はない。これには多くの場合特急用車両が使われている。空港→コイズミ→ヤガシセントラルと行く場合はコイズミでシートの方向転換はしないため、空港→コイズミは進行方向に対して逆向きにしている。またその逆のヤガシセントラル→コイズミ→空港でも同様でシートは進行方向逆向きのため、空港線では「逆向きの車窓を楽しむ」ことが最近の大人としての嗜みとされている。ただしコイズミ→空港間をピストン運用されている車両については進行方向に準じたシート向きである。

使用車両

エンディミオ2000系が特急用、急行用、快速用、各駅停車用と作られておりそれによって運用が行われていたが、CE2019年から特急用は置き換えが決定した。

車体の色から「青ディム」「白ディム」と呼ばれており後者が快速用である。これらの車両すべて旧小泉電鉄から受け継いだものである。

THTの意味とは?

特にこれと言って意味はないものの、数多くの憶測がある。

「TuesdayとThursdayの頭文字をとったことによる」が一番有名な憶測なのだが大豆島に同社支社を設立する際に当たりウィークカンパニーグループの傘下として参入したことがその憶測が定説になっている。

「THT台車を開発した」はその次に有名な憶測であるがなぜTHT台車と名付けたのかすらも不明であるが当時は島内各鉄道会社自身で車両を作っていた事による。当時とても性能の良い台車を開発することが出来たためそれがTHTと言われている。

しかしすべてにおいて根拠のある証拠は一切ないため公式にすべてを否定している。これにより社名の由来が不明な会社としても有名になった。

2023年11月17日現在の取締役

前述の「今年(2020年)就任新社長」はバリーウルスである。新社長就任から2023年11月17日以降も含めた総取締役として同社の運営に当たっており、既存の運行システムなどはすべて前任役員時代からのものを大幅改変をすることはしないものの最新システムへの移行を発表している。ニケ2200の2次車にはそれらをすべて詰め込んだとも言われている。このシステム更新については夢峠THT車両小豆の技術陣の協力を全面的に得られていることによる。また既存の技術保持を行える旧組織の運営をそのまま受け継いだ組織(YPRパワーウェーブSi)も夢峠THT車両小豆の傘下に入っており旧技術と新技術とのすり合わせは容易に行える体制もあってバリーウルス自体が夢峠THT車両小豆にすべての信頼を寄せている。そして2024年のテーマとして「伝説から伝統へ」としている。これは夢峠側技術陣が現存している車両の魅力をバリー氏に説明した上でそれを進化させることができて継承も可能であると提案したためである。ただそれは現存車両をそのまま使い続けるわけではなくその後継機を誕生させる意味であり、当初完全に見た目を含めた小豆島島内鉄道の刷新を行おうとしたバリー氏の意図には沿っていないものの前述の通りの全信頼において夢峠側技術陣の裁量が大幅に通った形である。