松平あみ

Last-modified: Sun, 10 Mar 2024 06:54:03 JST (49d)
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松平あみは竹子島のミュージシャンでありCE2000年からの20年は竹子島舞糸市都市デザイン部の主任建築技師兼チーフデザイナーを担当していた。

経歴

出身地は竹子島とうしん行政区でとうしん駅から数十分のところに実家であり生家がある。実家の家業は開業医。
中等学校時代に世界中の学校内音楽サークルでバンド活動をすることが流行するがこの当時の竹子島では許されておらず高等学校進学時にそれが唯一許されていた舞糸市に移り住む。それを期にあるバンドに参加する。それが「中島バンド」であった。そこからは舞糸市の職員になるまでの間、バンド活動と並行して他のアーティストのプロデュースもしていた。その際に作ったレコードレーベルがARIADUSTAM(アリアドスタム)である。
大豆島で活動をしていた田植えボーイズのメンバーと合流し「ザ・アコーディオン」を結成する。当時は「アコーディオンショップ」というバンド名だった。表記ゆれで「アコーディオンビショップ」と
「ザ・アコーディオンズ」があるが後者の方は彼女しかアコーディオンを弾いていなかったため「ズ」をつけるのはおかしいとされたためである。

「芸術都市舞糸市」の屋台骨となる

舞糸市の職員になって以降は音楽活動は趣味でやる程度でとどめておき、都市デザイン部に配属後に建築技師とデザイナーの勉強をしながら職務をこなす日々を過ごす。舞糸市大通り界隈の町並みの設計で一躍有名になるが、その傍ら竣工建物の検査員としての職務もこなしていたため彼女が職歴10年も超えた頃になると誰もがミュージシャンとしての認識はなく「舞糸市の都市をデザインした人」としての認識となった。そうは言えどファンは居るためサインを求められることが多々あったがそれをわざわざしないために「検査で合格したら大きくサインします」と広報したことがある。それに合わせて書類書式が大きく署名できる仕様になったほどである。

とうしん行政区から舞糸市への直通列車が走る

彼女が舞糸市の職員についてから起こったことは芸術都市舞糸市の確立だけではなくとうしん行政区から舞糸市への直通列車が走る様になったことである。職員についてからも舞糸市で生活は続けていたもののちょくちょく実家には帰っておりその際に「とうしんへ直通列車が走るといいですよね」とコメントしたことがあった。これにより舞糸高速鉄道がそれを聞いて直通列車が高頻度で走るようになったという逸話があるが、舞糸高速鉄道はそれを否定しており「とうしん港が軍用港に指定されてしまったために農産物を舞糸市へ運ぶことになっただけで、その際に同様の意見が多数あったためである。」と語っている。しかし舞糸市当局はそれを「唯一のエセ手柄」として島内最強のジョークとしている。

今年CE2024年に24年ぶりのミュージシャン活動

竹子島の隣の島であり海底鉄道で地続きとなっている大豆島発祥の音楽「ダージリアンミュージック」の音源をリマスタリング、曲によってはカバーすることで音楽活動の再開を表明した。またミュージシャンを始めて以来の交流である小豆島のミュージシャンの荒川なおみ、氷室香美、定岡まさみとのユニット「FRITZ」を2024年限定で再始動する。

  • 「High-quality sound remastering Dargillian music」その第一弾は「フォーサラマンダーズ」で初期作11作品をリマスタリングする。
  • FRITZで「ペンソルズ」のカバー作アルバムをレコーディング予定である。